怒りの感情について、アドラー心理学から考える
昨日は、ひっさびさに怒り散らかしてしまいました。
もう、激おこぷんぷん丸(もう言わないの?これ 笑)
一言で言うと、息子の「注目して」攻撃がものすごくて、私がそれに耐えられずぶっチーん!ときてしまいました。
発端は外出先で、一回目の「ママこっち見て~」ってのを、私が「はいは
ーい、もう行くよー」ってスルーして、スタスタ歩いて行ったことにあるんです。
なんか、道ばたのスロープの手すりのとこに、息子が登ろうとして、やっぱりやめた、ってのを
「見て見て~、僕もう4歳だからこんなとこ登らないんだよー」
みたいな。
正直、はいはい、しょーもなー(笑)って思って。
でも、たぶん息子にとっては、良くないことを自分で判断してやめたってことを認めて欲しかったようです。
立ち止まって一言、「ほんまやなー。もう4歳やもんね」ぐらい言えば良かったんでしょうねー、今思うと。
だけどそこはけっこう狭い商店街で、私は自転車を押していたので、道ばたで止まりたくなかった。買い物も早く行きたかったし。
そんで、軽くスルーして「はーい、行くよー」ってしたら、
最初の泣きが始まり。
最初から、自転車に乗せておきゃ良かった~⤵って思ったけど、もう遅い。
とにかく、ジャンプしながらぎゃあぎゃあ泣きはじめたので、自転車の後ろに乗せようとするも、激しく抵抗。
「たったあれだけのことで」
なんだけど、息子にしたら、それが始まりで一度そうなったら何もかもが気に入らない❗となる。
自転車に乗るのも、歩くのも、私が先に行こうとするのも、全てがイヤ!ってなる。
まだイヤイヤ期終わってないやん!と自分の過去記事に突っ込んでおこう(笑)
まあ、そんなこんなで、なんとかようやく買い物に行った先のスーパーで、今度はあれが欲しいとゴネられ、でも私は全然買いたくないものだったので、あれは買えない、と言うと、ひっくり返って暴れそうな勢い。
私はもうそういうときは何がなんでも帰る、と決めているので、何も買わず家に帰り。
帰ったら帰ったで、作ったご飯に「美味しくない」と、言われ。(いつもだったら普通にバクバク食べるはずのものを作ったのです、一応)
ひと悶着あってから、
「美味しくないなら食べなくていいよ」
と、皿を下げると、「やっぱり食べたい!」と泣き叫ぶ。
けっこうそこまでは、冷静に対応してたんだけど、なんかもう、こりゃ一発ガツンと言わないとダメだこれ!って思って。
そしたらもう、今度は私がめちゃめちゃ怒り始めてしまい、激しい言葉が止まらない。強い口調で威嚇する。
「いらん言うたんやから、もう食べんでええ!」
「ぎゃあぎゃあ泣くのはママ嫌い!」
もうちょっとひどいことも色々…
途中から、怒りながら、これじゃ息子と変わらんな、と思って少し冷静になったんだけど。
少し距離を置きながら、
落ち着きなさい、落ち着いてくれないと、ママは話できない、
と言いました。しばらくしたら息子はなんとか泣きやみ、少ししゃくりあげながら、私の近くに来ました。
「とにかく、泣き叫んでも思い通りにはならないんやで。して欲しいことあったらこうして欲しいってちゃんと口で言うたらええねん」
「泣いてもいいけど、周りの人に迷惑だから、ぎゃあぎゃあ大きな声はやめて」
「欲しいものがあっても、ママが買いたくないと思ったものは買えないよ、買えるものは買うけど、買えないものは買えないの」
と、息子が冷静になったところで、かなり怖い顔してただろうけど、私もなるべく冷静に話しました。
今回はなんかいろんな少しずつの判断が裏目に出たな、という感じ。
最初に私が話を聞いてあげれば、たぶんそれなりに不満はあれど、そんなに引きずることもなかったと思います。
そんな日もあるわ、と思うけれど、できることならまた同じようなことは繰り返したくない。ので、
息子と私の怒りについて、
アドラー心理学とコーチングの観点から色々考えてみたいと思いました。
アドラー心理学では、人が誰かや何かに対して怒るときは
「怒りの感情を使って、相手や状況をコントロールしようとしている」
とか、
「怒りの感情を使って、相手より優位な立場になろうとしている」
というふうに考えます。
つまり、怒りの感情が沸いたから怒っているのではなく、
自分の思うような状況を作りあげるために、もしくは相手をねじふせて言うことをきかせるという目的のために、
怒りの感情を自ら作り上げて怒っている、
というのです。
もっと言うと、
大声を出して怒り、相手をコントロールするという目的のために、怒りという感情を捏造している。んだそう。
また、怒りというのは、二次的な感情で、その前に一次的な感情として、恐れ、不安、焦り、寂しさ、などがある、と考えられます。
息子の場合、まだまだ自分で自分の気持ちを伝える、というのができません。
「こうして欲しかった」
「寂しかった」
という一次的な感情をただ表現しているのもあります。
けれどその思いを怒りに変えて、
ぎゃあぎゃあ泣き続けることで、私をコントロールしようとしている。
これは、コーチングならば、言葉で気持ちを伝えたらいいことを教えてあげて、
泣いても思い通りにはならないことを自分で気づくしかない。
感情を言語化すること、自分の行動の結末を自分で引き受けることで、適切な行動ができるようになると考えるからです。
まぁ、もう少し丁寧に話を聞いて共感する、とかのプロセスもあることはあるのですが、長くなるので💦ざっくり言うと、そんな感じです。
そして、私の怒りですが、
「こんなに言っているのにどうしてわかってくれないの」
という悲しみや不安、があった。
そして、息子を思い通りに動かすために、怒りという感情を作りあげてそれを行使した。
ということになります。
私は、これはこれで良かった、と思っているのですが、
他にできた対応として、
最初の段階で、息子に初めにおこった一次的な感情を受け入れてあげる、ということができたかもしれない、と思いました。
「ママにお話聞いてもらいたかったんやね、ごめんね」
というふうに。
まぁ、それでうまくいくかもしれないし、うまくいかないかもしれない。
怒りや悲しみは、ただの感情で、善でも悪でもない。
ただ、「怒り」を使って子どもをコントロールしてばかりいると、
子どもも、
自分の思い通りにするために「怒り」を使えばいいのだ
ということを学んでしまうかも。それは、頭に入れておかなければならないなぁと思いました。
子どもに表れる姿は、自分の姿でもあるのだから。
子どもという師匠が何か教えてくれてるんです、かね?
それでも怒りたいときは怒るよ、こっちだって!(笑)
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