恐れが、邪魔をするとき。
恐れという感情について。
ちょっと今日は、私の子ども時代の話です。
子どもの頃から、できるなら、ずっとおだやかでいたい。そう思っていました。なるだけ怒ったり、感情を露にしないように、なるべく笑っていようって。
そんな私の一番の心のブロックは、
「怒られたくない」
でした。
うまくいってるとき、いつも、
「怒る」人が表れて、私は恐れて身動きできなくなってました。なんででしょう?
…
私は、まぁまぁヒステリックな母に、怒られてばっかりの子ども時代を過ごしていて。
母は共働きで忙しく、厳しい祖父母と同居で大変だったようです。6人家族の家事は昼間仕事しながら、すべて母一人でこなしてました。
父は仕事と遊びで忙しく、浮気もしてたし借金もしてた。でも、外から見ると、普通に幸せそうに見える家族だったと思う。
小学生ぐらいのとき、よく、失敗をしてました、なんでも。お茶こぼしたり、忘れものしたりは当たり前。他の子がすんなりやってるようなことが、まぁできない。
できても、ものすごい時間かかってたんでしょうね、母からはグズだの、ノロマだの、毎日けちょんけちょんで。
小学校2年生ぐらいに、いつもと同じように怒られて、「死ね」
って言われたり。けっこう衝撃的でした、それは。
生まれたくて生まれたんじゃない、って思ってました。勝手に生んで勝手に死ねってどういうこと?って。
一方で、何もできない自分が本当に情けなくて恥ずかしくて、母が怒るのはしょうがないと思っていた。
今思うと、私は母のはけ口というか、ストレスを一身に浴びる存在だったんですね。母もとてもしんどかったんだと思います。
母は、いくら口でひどいことを言っても、手を出さなければいいと思っていたようです。
機嫌のいいときは優しいし、私は、それでも母が好きだった。失敗すると怒るけど、面白いことを言うと、笑ってくれる、その笑顔が好きだった。
だから、ちょっと小学校高学年ぐらいからは、「お調子者」の仮面をかぶってた。「面白いこと」を言ってたら、怒られないかもしれない、なんて。でも、つねにしんどかった。
怒られたくないから、嫌われたくないから、そのために友達とか笑わせても、気づく人は気づくし。
一つ上の兄がいるんですが、この人はなんでもできるんですよ、私と真逆。一回目から、なんでもできちゃう。勉強もスポーツも、遊びも。友達からも尊敬されたり、ちょっとガキ大将っぽい感じ。また、そんな兄と比べて、劣等感感じたりして。
私のほうもそれなりに、楽しいこともいっぱいあるんだけど、いつも心の中に、
「自分は何やっても失敗するんじゃないか」
「失敗して怒られちゃうんじゃないか」
っていう不安がある。
これで、私のベースができあがったようです。
今、自分は、子育てに悩んで、色々勉強したりして、だいぶ生きるのが楽になりました。
もう、確実に子どものおかげです。私を助けるために、息子が生まれてきたと思ってる。いろんな素敵な人に出会えたことも、息子のおかげです。
それでも、不安が押し寄せるときもある。怒る人もいる。そんなとき、また苦しくて、胸がざわざわします。
ああ、私お母さんに、
「こんな私を認めて❗」
って言いたかったんだ。
それで毎回同じように、ざわざわして苦しくなってるんだ。
お母さんは、私を愛してなかったわけじゃない。
自分がしてほしい愛し方じゃなかっただけなんだ。
そんなことにも気づく。
心理学を勉強して知ったのは、
私の価値は私が決めればいい。他の人がなんと言っても自分が自分を認めていればそれでいい。
そんな、当たり前すぎること。
それでもやっぱり、好きな人に認めてもらえないのは悲しいことだよね。
子どもだった私をきちんと癒してあげよう。
私は愛されてるってもう知ってる。
そして、恐れず、前進するしかないんだ。