七色日記~らくちん子育てで幸せになろう~

チャイルドコーチングアドバイザー。4歳児の母。製菓衛生師。

だんなさんが嫌い?

 今日は刺激的なタイトル。
 
せっかく、好きだと思って、幸せになれると思って、結婚したのに、子どもができてから、だんなさんを好きと思えなくなった人の話。

「だんなさんを見てるとイライラする」
「もっと子どもの面倒見てよって思う」
「もう男として見れない」
「もっと稼いできてよって思う」
「お金さえあったら離婚できるのに」
「こんな人だとは思わなかった」

という人がいました。

あんなに好きで結婚したのに。自分が選んだはずなのに。自分に見る目がなかったのか?

この人の頭にあるのは

「私は悪くない」
「私はこんなに頑張っているのに、悪いのはだんなだ」

という思い。

 私も、かつては同じような気持ちでした。
その人と同じように、子どものために、家族のために、家事も育児も頑張っているのに、どうして、だんなさんはテレビばっかり見てるんだ?仕事だけしてりゃいいのか?たまに家事を手伝ってくれるけど、そのやり方も気に入らないし、「やってあげた」とか思ってるし、なんかいちいちイライラする!
 
 でも心理学について色々学んで、今は、

「だんなさんに感謝しかない」
ぐらい、大好きです。
うちのだんなさんは神様です。
心からそう思う。

 それは、私が、人の心について、どうしてそうなるのか「知った」そして、実際にやってみた、から。

 

 先ほどの場合、奥さんは「被害者」で、だんなさんのせいで、「不幸」だと思っています。

 でも、同じようなだんなさんでも、違うふうに思う人もいます。

「仕事から帰ってきて疲れてるんだな」
「ゆっくりくつろいでるみたいで良かった」
「下手だけど(笑)たまに家事を手伝ってくれるし、うちのだんなさんはなんて優しいんだろう」
「お金も大事だけど、こうして一緒に暮らせる家族がいることじたいが幸せだな」

と思っている人もいる。

この違いは何でしょう?

イライラしてしまう奥さんは、

「私は頑張らないと幸せになれない人。」

と思いこんでいる人。

「頑張らない私には価値がない」

と、自分の価値をみずからすごーく下げて生きてきた人です。

そして、頑張らないと価値がないと思っているから、
頑張らないで楽してる人を見ると腹立たしい。

自分の価値をますます脅かすだんなさんが嫌いになる。


そして基本的に、

 自分と他人を比べて、自分の価値をはかってきた人。

 なので、

自分が他人より幸せだ、と思えるときに安心し、
自分が他人より不幸だ、と思ったときは不安になったり妬んだりしてしまう。



そして、

他人から見て、どんなにうらやましい状況に置かれたとしても、常にモンダイを探します。不幸を見つけ、自分がいかに価値がないかの証拠を集めて生きるのです。

 スーパーモデル並みのスタイルを持っていて、北川景子ばりのフェイスで、大きな会社のご令嬢だったとしても(ただの例えです)

自分で自分の価値を認めないかぎりは

「なんで私って男を見る目がないのかしら」

とかしょーもないこと言って悩んでたりしてるのと同じ。(本当にただの例えです)

いやいや、アンタじゅうぶんですやん!と言いたくなりませんか?
選ぶ自由も選ばない自由も、全部自分が持っているはずなのに。


この奥さんも、基本的には同じです。

自分の価値を自分で認めない限りは、
「ある」はずの幸せも、
見え「ない」し、

「ある」はずの愛も、
受け取ってい「ない」

「ある」はずの自分の能力についても、
過少評価して「ない」ことにしている

ことになるのです。

そういう人に向かって、

「あなたは見えてないだけですよ」
「受け取ってないだけですよ」

といくら言っても、ほぼ信じてもらえません。

人は信じたいものを信じて、見たいものを見ているからです。

何かのきっかけや、生い立ちの上で、

「私は不幸だ」

「私は価値がない」

と決めつけて、その通りに生きていて、周りの環境をその通りにコーディネートしているだけです。これを「不幸の証拠集め」と言います。




離婚、本当にしたかったらすればいいのにね。
他人を責めたって何も変わらないのにね。
変えないのは、実は

「そんな自分に安心していたい」

のかもね。

「被害者」で、

人を責めてたまに愚痴っていれば、自分に向き会わなくてすむから楽なのかもね。

 ブラックな私の声が聞こえましたね…。失敬!



 「何にもしなくても私は幸せ」

「生きているだけで愛されている」

と、思いこんでいる人は、その思う通りに、ただ無邪気に生きて、そのまま大して何もしなくても、いろんな人に愛されるのです。


 赤ちゃんは、そうです。

最初は自分を完璧な存在だと思っています。

そして、いつからか、自分にとって絶対的な存在である親から、
例えば、

「この子はかわいそう」

だと、刷り込まれたり、言われたり、

「頑張らないと幸せになれないよ」

と教えられて、本人もそのように思いこむと、

「かわいそうな私」
「頑張らないと幸せになれない私」

が出来上がる、という仕組みになっているわけです。
ちなみに、
「かわいそうなお母さん」
とかもあります。
「かわいそうなお母さんを助けてあげなきゃいけない私」
とか。

頑張ることが悪い、と言っているわけではありません。
親が悪い、と言っているわけでもありません。
生い立ちのせいで、そうなった、と言っているわけでもありません。

それは、ただの偏りですよ、

 そういうふうに、自分で決めただけだから、その思い込みを変えたかったら、いつでも変えれるんですよ、と言っているのです。
 
 その選択権は、いつでも自分が握っているし、

偏った思い込みがあるなら、一度、フラットな状態に戻ればいいだけです。



自分の価値を認めた人は、たまに失敗しても、

「たまたま失敗しただけ、次はうまくやろう」
と思い、

自分の価値を認められない人は、

「やっぱり私は失敗する人なんだ、もうやりたくない」
と思うでしょう。

 自分が失敗したところで、自分の価値が少しも下がることはない。

これは、「自己肯定感」とか「根拠のない自信」とか言います。

それさえあれば、貧乏でも、障害があっても、本当に何も持っていなくて身ひとつでも、「幸せ」を感じることができる。

究極的に言うと、そういうことだと思うのです。

タイトルから随分離れた内容ですが、全部つながってるのでそのままupしよーっと。

長くなっちゃったので、また、続きは後日にしたいと思います。