七色日記~らくちん子育てで幸せになろう~

チャイルドコーチングアドバイザー。4歳児の母。製菓衛生師。

続大人のADHD

で、大人のADHDですが、

 
6つもあてはまった私。4つ以上あてはまった人は、受診しましょう。と書いてありますが…

受診する必要性を全く見いだせないんです、これが。

たとえADHDだったとしても、今のところ私は
 「何もモンダイナイ」
 と思っているからです。
 
チェックして、やっぱり、と思ったのも、
ただの占い感覚です。
 
AB型って、気まぐれなんですよねーとか言われるのと同じような。

確かに以前は、つらかった、しんどかった。
劣等感に苦しんで、生きづらかった。周りの人と違うんじゃないか、という孤独感が常にあった。
 
ではなぜ、今の私は苦しくないのか。
 
不注意すぎるという事実は何にも変わってないのに。
 
今でも相変わらず、失敗だらけなのに。

人によっては呆れたり、怒ったりされることもありそうなもんなのに。
 

なぜなら、私はもう、

「自分を責めるのをやめた」
 
からなんです。


失敗して、恥ずかしくなることはあっても、自分ってダメだなーと思っても、だからと言って、私は自分を責めないんです。
 
私ダメじゃん(笑)、てへぺろ
 
ってやってます。
 
失敗して、誰かに迷惑かけたら、謝ればいいし、
 
できないことがあったら、助けてって言えばいいと思うようになったからです。

自分は、それでも愛されてるし、価値があると思っているし、

私が一番、私自身を受け入れているからです。
 
 
発達障害とか、障害と呼ばれるもので苦しんでいるのは、治療やさまざまな療育で軽減されるでしょう。知識を得ることで、楽に生きられるようになるし、

できないことができるようになったり、行き届いたケアをしてもらえたり、とても大切な取り組みです。
  
 でも、本当に根っこの部分の苦しみは、
 「自分で自分を責める」
 
のを辞めるだけで消えるのだ、と私は思います。
 
 どう考えても、幸せとは主観的なものでしかないから。
 
苦しいと思うのも、すべては結局、自分が作り出した苦しみ。
 
 障害があるから、苦しいのではない。
 
障害がある自分をダメだと責めるから苦しい。
障害があろうが、なかろうが、
「ダメな自分は責められて当然」
という前提で考えてしまうなら、どんなにすごいことが出来る人でも、
 
生きるのはとても苦しい。
 
これは、障害に限ったことではなくて、
 
過去にある出来事で「責められた」
ことがある人が、
 
「また責められるんじゃないか」
 
と怖れる気持ちから、
自分で、自分の気持ちを押し殺そうとしたり、責めたりしてしまう。

誰かから、傷つけられるのが怖いから、
傷つけられる前に、

自分で自分を責めて、

行動範囲を狭めて、

少しでも傷を浅くしようとする。

それは、
 ただの考え方のクセのようなもの。
 
本当は、誰も責めていないのに、
 何かやろうとすると、
 
「責められるんじゃないか」
 
と、無意識に自分を責める。
 
 でも、それは事実ではありません。
そう考えるのはただの無意識的なクセ。

無意識って、意識の何百倍も力があって、すごく根強いらしいんです。

ちょっとややこしいこと言いますが、

無意識的なことは、言語化すると、意識っていう領域に引っ張ってこれるんです。

言語化って、言葉にする、ということですが、ただ「気づく」だけで、頭の中で言語化されます。
もちろん、口に出したり、書いたりすると、いっそう意識できます。

つまり、「気づく」と「変えられる」

のが、無意識。


だから、そのクセに気づいて、意識的に、無理やりにでも、
 
「自分は生きているだけで価値がある」
 
ということにしてしまえばいいのです。

自分が自分であることを完全に受け入れると、

覚悟するだけでいいのです。

理想を追い求めて、苦しくなる前に、

どんな自分でも受け入れると、

自分を許して生きていこうと、

決めればいいのです。
理想を持つのはいいことだけれど、

自分を受け入れていないのに、高い理想を持つと、それは自分を苦しめるだけになったりするので。

 
そして、
 
現実的に
楽をしようと思ったら、誰かの手を簡単に借りればいい。

幸せになりたかったら、孤独になるのをやめればいい。

本当は誰も責めてなんかいません。

責められた、と思うとき、本当に自分を一番責めているのは自分です。
 
 
努力して乗り越えることができることもある、でも、努力してもどうしようもないものもある。

それをひっくるめて、
「大丈夫」、「それでもいいんだ」と思えたなら。
 
 きっと、本当にどんな自分でも「あり」だと思えたなら、
 
 
 たとえ、実際に自分を責めてくる人がいたり、嫌ってくる人がいても、
 
そんなものは「屁でもない」
 
と思えるんです。


 
 
最終的にじゃっかん下ネタ…
 
すみません。
 
 
 
ああ、責めないで、、、
 
 
 
何もできなくても、愛される存在だから。
 
「助けて」
 
って簡単に言える人になると楽。

人って案外優しい。

そして、もしも傷ついたら、

また立ち直ればいいだけ。

子どもみたいに

昨日は泣いて、今日は笑って、

シンプルに、軽やかに、ただ生きていくだけ。