子どものグズり、大人の怒り。
最近、息子がグズることも減ってきました。やはり、言葉で言いたいことを伝えられるようになった、というのが大きいかと思います。
たまに、グズグズになりかけても、そのときに
「本当はどうしたいの?」
ということに焦点をあてて、気持ちを聞くようにしています。
グズると、大人もイライラしがちなんですけど、
グズる=かなしい、さびしい、くやしい
という気持ちなんだな、と思えばこちらも少し余裕が持てるかも、と思います。
~したかったのに出来なかった。
~だと思ったのにそうじゃなかった。
~してほしかったのにしてもらえなかった。
大人の怒りも、裏にあるのは同じような気持ちです。
かなしい、さびしい、くやしいという感情に良いも悪いもないけれど、
それを「怒り」としてぶつけると、
ぶつけられた方も不快になりますね。
「怒り」にも、もちろん
良いも悪いもありません。
怒りたいときは、怒ったっていいのです。
そこに罪悪感はいりません。
「それはいや」
を大人も子どもも言ってもいいのです。
困ったときは、困ったなーって言っていればいいんです。
そして、怒りやグズりの裏にある
「本当の気持ち」を聞ける余裕があるときは、
子どもに対しても、自分の気持ちに対しても
~してほしかったのにしてもらえなくてかなしかったんだねー、
とか、
~したかったのにできなくてくやしかった
んだねー、
とただ受けとめればそれで気が済んでしまったりもするということです。もう一度やらせてあげられるならば、やらせてあげればいいし。
無理なことは無理でいいし。
そしてもちろん、受けとめるだけでは気が済まない場合もあるけど。
でも、別にそれでいい。感情をコントロールしようとしなくていいです。
子どもも大人も、
感情をぶつけ合って、人の気持ちを知ったりするのだから、
怒ったっていいし。
そして、笑えるときは思いきり笑えばいい。
子どもは、本当に「見せてくれてる」だけだな、と思います。
大人が、自分の気持ちを「我慢」していると、
「我慢」しなくていい❗
とばかりに、
子どもは泣いたりわめいたり好きにやってます。
本当は、大人も「我慢」なんてしなくていいよ。
言いたいこと言って、やりたいことやって、
失敗しても、
また立ち直ればいいだけだよ。
そうやって、自分に素直に生きていくだけでいいんだよ。
って。
余裕が持てないときは、まずは自分を満たしてから。