七色日記~らくちん子育てで幸せになろう~

チャイルドコーチングアドバイザー。4歳児の母。製菓衛生師。

ジャッジしない

この前、幼稚園の保育参観がありました。

うちの幼稚園は、モンテッソーリ教育というのを実施しているところで、登園すると、まず「おしごと」の時間というのがあります。

教室には、いろんな教具といわれる子どものおもちゃが整然と並んでいて、そこから自由に自分のやりたいことを選んで、子どもが自分で「やりきった」と満足するまで集中しておしごとする、そうして自主性と集中力など
を養うというのがこの園の最大の特徴です。

自分で選ぶと集中できるし、自己肯定感も高まり、そのことによって、落ち着かない子が落ち着けるようになったり、子どもの個性を伸ばしたりできるようです。

そうして、他者や世界に貢献しながら生きるようになることを目指しているので、実はモンテッソーリ教育も、根本的なところでアドラー心理学と少し通じるところがあるようです。

月刊クーヨン増刊 モンテッソーリの子育て 2010年 03月号 [雑誌]

月刊クーヨン増刊 モンテッソーリの子育て 2010年 03月号 [雑誌]

興味があればどうぞ。なかなか素敵な考え方です。


さて、その保育参観では、うちの息子、「おしごと」の時間はほぼずーっと、お友だちとしゃべってました…
こんだけモンテッソーリ教育について書いておいて、なんじゃそらって感じですが(笑)、
いいように考えれば、そんなに気のあうお友だちができて楽しそうで良かったなって思えるし、今はそれが楽しいんだから、おしごとなんてしなくても、それはそれでOKです。

少し前だったら、たぶんこんな風に思えなかったんですけど、心理学の本を読んだり、今、周りにいる素敵な人達の影響で、考え方がずいぶん変わりました。

今は、色々なことを
「善悪」とか「正否」でジャッジしなくなったので、たいていのことは気にならなくなりました。

もちろん、「善悪」の概念は、あっていいし、世の中のルールは教えたほうがいいのだけど、日常で起きる出来事についての、善悪や価値観ってけっこう人それぞれですよね。

それなのに「正しい」「間違っている」で、頭ごなしに判断しようとすると、「自分だけが正しい」となったり、
「この考え方は絶対に間違っている」となってしまいます。

そうなると、そういうふうに考える人にとって、世界は、対立や恨みで満ちあふれていきます。

一方、
「うれしい」「うれしくない」とか、
「心地いい」「心地よくない」
で、判断したほうが、
世界はシンプルで、良いところに感じられると思うのです。

真面目に、「善悪」であらゆることを判断しようとすると、自分の中にある「悪」を認められず、自分自身を「悪者」にしてしまい、
生きることがつらくなったり、心の病になってしまったりする。

それより、多少は不真面目でも、
「心地よさ」
を判断基準にすると、自分で自分を認めることができ、そうすることで、

周りの人々や世界とうまくやっていけると思うのです。自分を心から認め受け入れている人は、同じように他人を認め受け入れることができると思います。

子どもはそれさえ知っていれば、あとは勉強できなくても、運動できなくても、自分の人生を最大限楽しめるように、すくすく育ってくれる。

なので、子どもについて、今は何にも心配していません。それを教えてあげるぐらいしか私が息子にできることってないんだ、と思います。

あ、でも逆で、本当は、子ども達は産まれたときからそれを知っていて、大事なことを忘れた私たちに教えてくれようとしているのかもしれません。

そのために、「快」「不快」を全力で私たちにアピールしてくれているんだ、きっと。

大人も、僕たちと同じように「快」「不快」を全力でアピールしたっていいんだよ、って。