日々の料理と断捨離。
2日前、14日はバレンタインデーだったので、
なんか、作りました。
なんで、そんな悪い顔してんだ!
生クリームとマスカルポーネチーズで、ティラミス風のムース。チョコレートといちごを飾ってます。
あと、最近の料理はこんな感じ。
白菜と豚バラ肉の塩鍋。
餃子と、えびと白菜のクリームスープ
もやしとほうれん草のおひたし。
クッキー作りしたり。
あと、最近のブームは断捨離です。
とにかく「捨てる」
捨てて、捨てて、捨てまくれ!
いらないものはガンガン捨てる!
今日はごみ袋3つ分。
まだまだ
執着も
捨てる!
そうすると心が、すごーく、スッキリ‼します。
旦那も、いろいろ捨てはじめました!
良い影響です。
心なしか、顔が明るくなってきました。
本当に必要なものしか、持たなくていいんだー!
って気づいていくのが、
気持ちいいです。
毎日、少しずつでも捨てていけばいい。
そんな、ゆるい断捨離、進行中です。
料理と子ども
ライスバーガーを作りました。
ちまこ通信さん子どもも大好き 人参ライスバーガー☆ - めざせ 野菜1日350g! ちまこ通信
の真似です。
中身は少し替えて、人参のきんぴらと棒々鶏入れてみました。ちまこさん、いつも勝手に参考にさせていただいてます。ありがとうございます〰!
病み上がりで、病中の食事は炭水化物とフルーツばっかりだったため(ここぞとばかりに手抜きしたため)
野菜を全然食べなくなった息子。
これならどうだ!と、作ったところ、バッチリ食べました。
人参の甘辛さ、棒々鶏のあっさり加減がご飯とベストマッチです。
あと、
料理ってほどじゃないけど、某和食チェーンさ○で、板前セットなるものを注文。
子どもが、自分でしゃりにネタをのせるだけの
リアルお寿司屋さんごっこやりました。
普通に寿司です。のせるだけだからね(笑)
「マグロ一丁!」とか言って。ツナとイクラが混ざっているのはご愛嬌。
結局、うちの子が食べるときは、ネタだけ食べる、しゃりだけ食べるので、さっぱり意味ないじゃん…ですがね。
でも、楽しかったみたいです。
子どもって料理作るの好きです。大人の真似したいとかもあるのかな?おままごと好きだし。
私も、子どもと一緒に料理するのが好きだと思います。
夕食作りのときに手伝ってもらうと、遊びの一環でもあるし、手間はかかるけど、その辺でごねられるよりは助かります。
私は、自分の子や友達の子とたまに料理するとすごく楽しいです。出来たことを喜んでくれるのが楽しい。美味しいのがまた楽しい。それを誰かに食べてもらうのも楽しい。
楽しいの4乗です。
これは、天職なんじゃないかと思うので、今、子どもと料理するワークショップを企画中です。
また、その様子なんかもアップできたらなーと思っています。
2歳ぐらいから、バターナイフを使ってバナナを切ったりできますし、包丁も教えればきゅうりとかキノコを切ったりできます。
案外、教えさえすれば危険もちゃんとわかるため、ケガをしたりはほとんどありません。いつも騒いでいる息子が料理中はわりと慎重です。
もし、ケガをしても、そこから学ぶことも大きいと思いますし。
最近は、息子に卵とベーコン炒めを作ってもらいました。
ベーコンを切って、卵を割って、砂糖と塩を入れ、軽く混ぜながら、フライパンで炒めます。
付け合わせに、レタスをちぎってごまドレッシングとコーンフレークと混ぜたサラダを添えて。
写真を撮り忘れました…
また、そのうち作ってもらって、追加でUPしておきます。
手順だけその都度教えて、ほんの少し手伝えば、自分でほとんどの工程ができました。
フライパンを使ったのは初めてだったので、ちょっと緊張したようですが、全然大丈夫でした。
この達成感が病み付きみたいです。
夜、旦那が帰ってから、もう1回作ってあげてました。
一緒に「できた!」が経験できて、それを食べることで、また喜びがあるのは、本当に素敵なことだな、と思います。
やり方をその都度ゆっくりやって見せて、見守る、できるだけ最低限の口出し。
汚れても大丈夫、あとで片付ければいい。そういう気持ちでいるといいですね。
親ができるのはほんの少しのサポート。
もちろん、やりたくないときはやらなくてもいい(笑)
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ほめてのばせとか言うけど。
TVネタ。
昨日テレビのタイムシフトで、水曜日の「ほんまでっかTV」見ました。
子育てについて、いろいろ言ってて、「ほめる」ことについてのところが面白かったので、ちょっと書いてみたいと思います。
尾木ママとかは、「ほめるときは結果じゃなく、プロセスを具体的にほめる」とか言われてて、私はふーん、というか、うーん、てなりまして。
全然いいんだけれど、自分も意識してほめるときもあるし、どんなやり方もアリなんだけど、親がガンガンそれ推しでこられるときついな、とか思いました。
みんな子ども伸ばしたいんだろうけど。いや、本当にそれぞれなのでやりたいようにやればいいんですが。
私も、前はいろいろ伸ばしかた?みたいのを、また本とか読んで調べてたんですけど、
子どもって干渉しなくても、勝手に伸びたいときに伸びるんちゃう?と思うようになったので。
今はだんぜん見守り派。好きなことできる環境でさえあればいいかなーと思います。なるべく邪魔せんとこ、みたいな。
期待して、お金かけて、ほめて、あんまり伸びなかったら、どないしましょう?全然何やらせてもいいけど、あんまり「期待しない」でいた方が良いと個人的に思うんですよね。
うちも習い事してますけど、息子がやりたいって言ったのと、私が面白そうだからなんとなくやらせてみたんで嫌ならやめちゃえと思ってて。暇だったし、とかテキトーです。
人って、誰かの期待にこたえるために生きてるわけじゃないですし。
自分は自分の期待にこたえるために生きてるんで。
でも、なんというか、結果だけほめるにせよ、プロセスをほめるにせよ、「不自然にほめる」感じばっかりになるんはどうなん?と思うんですよ。
たぶん、操作してる感じ、誘導してる感じ、子どもだってわかるんちゃう?って。特に私みたいなひねくれた子どもは。ケッ、とか思ってそうだなと(笑)
まぁ、素直な子どもやったら、逆にほめられたいがための行動ばっかりになることもあるやろうし。
私は、
何か感動したからほめるのであって、伸ばすためにほめる、のはなんか嫌、と思ったりします。
そして番組で、そのすぐ後に、
「ほめる」ことの弊害について、別の方が語られてまして。
そしたら、自称めっちゃ誉められて育ったブラマヨ吉田さんが、
「誉められて育ったのに、こんな卑屈な仕上がりになった」
とか言われてたのがかなり面白かったです。
吉田さんは、ほめられた、またはほめられたい、というプレッシャーできつかった、子どものときは、「いい子」を演じていた、という。で、成長して、自虐的なひねくれた大人になったという(笑)
どっちにしろ、今好きなことしてお金稼いでTV出てるから、吉田さん良かったね、って話ですけども。
よかれと思って、意図的にほめられるばかりというのは、けっこうきつい。ほめられないと、自分に価値がないんじゃないかとすら思えてくることもあるかも。そんな気がします。
ちなみに、アドラー心理学やコーチングでは、ほめるということはあまり推奨してません。
ほめるとは、立場が上のものが下にする行為であって、それは傲慢なことだ、人はすべて対等な関係である、というのがアドラー心理学。
ほめるのも怒るのも同じ、相手をコントロールしようとする意図でなされるべきではない、という考え方です。かなり厳しいっすね…
やはり、ほめられたいがための行動というのは、自発的な行動でないから、他者に否定されると挫折しやすかったり、気持ちが続かなかったりするということのようです。
なので、お互いに感謝したり、お願いしたり、提案したり、選択したりすることで、信頼関係を築く。勇気づける。ざっくり言うとこんな感じです。
さすがになかなか難しいので、まぁ、参考までに。
叱らない子育て: アドラーが教える親子の関係が子どもを勇気づける!だからやる気が育つ!
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えてして人生は矛盾だらけである、なんっつって。
ただのドMだったりして。
…
それで、書きたかったのは、ここから。
私はアインシュタイン風の評論家さんが言ってるのがいちばんしっくりきました。
「ほめるというのは存在を認めることだ」
というような話だったと思うんですね。うろ覚えですが(どないやねん)
あなたが、ここにいてくれることがとても幸せだ、と気持ちをただ伝えればいいのだ、
ということ。
うんうん、アインシュタインはん良いこと言うてはりますやん、と思いながら聞いていました。
きっと、大人も子どももみんな、ただ「存在」を認めてもらえることこそが、この上ない安心感と愛を感じさせてくれること、になると思うんですよね。
それも、そういう気持ちが沸いたらふと言ってみる、ってのがいちばん伝わるんだろうな。と思います。
子どもだからではなくて、対 ひと と思って、
感情のままに、ほめたい。
というか、「すごいな」と思ったら伝えればいいし、ただ見ているだけで、笑っているだけで、頭をなでるだけで、抱きしめるだけで、あなたが好き、ってことは伝わるだろうし。ほめるほめないじゃなく、存在を認めているだけ。あなたがいてくれてうれしい。
そうすると、安心して勝手に伸びるものだと思うんです、人って。
能力って大事だと思うから、伸ばしてあげたい、って思うけれど、
根っこに「幸せのもと」みたいなのがないと、きっとしんどいかもしれない。
何しろ、でも、しんどくなってそれすらも受け入れて乗り越えていくのも、素晴らしきかな、ひと、なので。
子どもってそんなヤワじゃない。大人ももちろん。
だから、感じたままにやればいいってところにまたもや落ち着く。結局それかい!ですが。
もし、しんどくなったら、私は旦那に聞いてみたい。
「私がいて幸せ?」
「幸せに決まってるやん」
と、ぜひ言っていただきたいものです。
えっ?(*゜д゜*)とか、躊躇されたら立ち直れるかなー…
何しろ、私の期待にこたえるために旦那も生きてるわけじゃありませんからね…
あなたのそのそんざーいが♪もう私をとめられなーい♪ CHARA姉さん。
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だんなさんを好きになるには。
前々回のだんなさんが嫌い?って話の続きを書いてみようと思います。
だんなさんが嫌いで愚痴ってるって、お母さんから受け継いだ可能性が大のようです。
それが基準になっちゃってるんです。
これも、ただの思い込みなんですけど、
お母さんは、お父さんに苦労させられて、でも離婚できなくてすごい我慢してた。私もいっぱい愚痴を聞いてあげた。そうやって頑張って私を育て上げてくれたんだ。
みたいな。
お母さんの生き方を肯定的に見てる場合が多いんです。
ほんとは、心の底にお母さんへの「怒り」とか「悲しみ」がたまってたとしても表に出てこない。押さえこんでる場合があって。例えば、
もっと私を大事にしてほしかった。かまってほしかった。愚痴なんて聞きたくなかった。
って気持ちがあったとしても言えないで、その気持ちにふたをして、すっかり忘れてしまう。でも、無意識ではずっと抱えこんでいる。
そして、お母さんと同じように男の人へのネガティブイメージが強くなったりする。
そうして、それが基準になると、無意識的にそういう風に自分を持っていく。
心の中で勝手に期待して、裏切られて、怒って
「男ってなんでこうなの?」
って。頑張れば頑張るほど、大事にしてもらえなくなる。
でもこれ、自分でそう持っていってるだけですから。
私もそうだったので、よくわかります。
ただ、私は、けっこう母を肯定的に見れてなくて、そこは多少ラッキー?で。
母は理不尽にヒステリックに怒るタイプで、私はわりと理屈っぽい子だったから、母と父の関係を冷めて見てました。
父親がいいかげんで、しょっちゅう浮気したり嘘ついたり、借金してて、母はそんな父に怒りながら真面目に頑張ってたんですが、
「愚痴るぐらいなら、やめたら?」
と
思ってました。
「かわいそうな母」って感じてた。その一方で「ほんとは好きでやってんじゃないの?」とも思ってた。だから、どっちかというとお母さんの生き方を批判的に見てた方です。
それでもやっぱり、男の人に対するネガティブイメージは、しっかり持ってました。
そうすると、男の人のいいところに目が向けられないで、悪いところばっかり目につくんです。子育てとかで疲れてると余計にね。
そして、勝手に悲劇のヒロインぶっちゃうんです。あら、楽しそう(笑)
これは本当にしんどいけどね、愚痴ってるとき、すっとするし、安心してるんです。「悪いのは相手」っていう立ち位置に安心してる。
なので、いち早く気づくといいですね。
お母さん、あれ、好きでやってたんだ。
って。そんで、
私も、これ、好きでやってるんだ。
って。
そして、
やりたくないことはすぐにやめる。
無理して、頑張ってやっていることをやめてみる。
疲れているのに、ご飯つくらなきゃ、掃除も完璧に、子育てもちゃんとやらなきゃ、
をやめてみる。
私がやらないと!をやめてみる。
ちょっと無責任で、いいかげんな人になってみる。
自分を大事にして欲しかったら、まずは自分が自分を大事にする。
そして、
私を大事にしてほしいの、って素直に伝えてみる。
やるのもやらないのも、本当は自由だから。
「本当に嫌だったら勇気出して辞める」
だけのこと。
辞められないのは、怖いんですよね。今までの自分のパターンとか、常識から外れるのが。とんでもないことになっちゃいそうで。「そんなことぜったい出来ない」とか「あり得ない」「嫌われたくない」って。
でも、辞めるのなんて簡単。
「辞めます」
と宣言して辞めればいい。宣言せずに辞めてもいいし(笑)
あと、怒りたくなるとき、相手の行動に「愛がない」と感じています。根っこの怒りは、
私は、あなたのためにこんなに頑張っているのに、どうしてわかってくれないの。
もっと大事にして!
とかなんです。怒りというよりは悲しみ。
でも、表面的なことにとらわれて相手を責めていると、その根っこに気がつかない。気がつかないと、癒されないでどんどんたまっていく。
そんで、大抵だんなさんも自己肯定感の低いタイプたったりすると(わりとそういう相手を選ぶから)、
責められるのが、当り前になる。だんなさんが、自分は責められる人間なんだ、と思ってしまうと、もう無限ループ。
だから、こういうのやりたい人はやればいいけど、辞めたい人は
きっぱりサッパリ辞めましょう。
さっさと気づいて、自分が、自分をまず「先に」大事にしてあげましょう。
自分を大事にしはじめると、
だんなさんの愛もちゃんと「ある」ことに気づくから。
それでもだんなさんが嫌いなら、離婚しちゃえばいい。
きっと、誰も責めない。
そして、責められても大丈夫。
過去も未来もなく、ただ、「今」を満たすために生きればいい。
勇気を出してもぜったい大丈夫。
このシリーズまだ、書けそう(笑)
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心屋さんの本は本当にわかりやすい。
節分。インフル疑い。
節分ということで、巻き寿司を作ってみました。
見た目はわりと⭕です。
しかし、私の性格の雑さが出て、酢飯の味付けがめっちゃうっすーくなってしまった(*T^T)
酢飯ってめっちゃ砂糖入れるんだもん、やだーと、ちょっと目分量で減らしてしまい。
息子の苦手なかんぴょうとか無くしたから余計に味もへったくれもないシロモノが出来てしまいました。
ま、醤油つけて食べたから全然いいんだけどさっ。
今、全国的に恵方巻きとか言うけど、数年前まで関西限定の超ローカルな行事だったよなぁ。イオンとかロールケーキ推してるしちょっと意味不明。面白いけど。
そんで、うちのだんなさん、方角もなんも関係なくふつうに切って食べたいわーって言うので、バサバサ切りました。ほんとは南南西だっけ?向いて丸かぶりで食べ終わるまでしゃべっちゃいけないとか。
そんなん美味くないやん!
せっかく作ったんだから美味しく食べたいわ。って
そもそもあんまり味無いくせに(笑)
そして、息子が「ま」と顔をちゃんとわかるように書けるようになったので、私の似顔絵書いてもらいました。
1年前は、ずっと線路書いてたのにねー。成長したね。
そんな節分。今宵も幸せを噛みしめます。
ただ、息子は今、インフルエンザ疑いです。
昨日、初めて幼稚園から呼び出しくらいまして、迎えに行きました。お弁当食べるのが遅いので、先生が熱を測ると38.7℃だったそうで。いつもはお弁当めっちゃ早いらしい。それも初めて知ったわ(笑)
夜に熱がスコーンと39℃まで上がったけど、翌朝は元気になりました。微熱は続いてますが、大丈夫そうなんで病院には行ってません。なので、インフルエンザ疑いということです。とりあえず今週は引きこもり決定。
だらだらお絵かきしたり、妖怪ウォッチ見たりして過ごしてます。病気なのに元気なときって何していいかわからず困りますね、ほんま( ;´・ω・`)
アクティブに遊んで熱上がってもやっかいですし。
皆様、お気をつけ下さい。っても人がいるとこに行かないわけにもいかないので、気をつけようもありませんが、手洗いうがい。
あとは子どもの場合、意外と丈夫なので、普段から免疫力を高めるためにも薄着に慣れたほうがいいような気がします。うちの子、インナーはほぼ1枚、多くても2枚しか着ないんですが、ほんとわりと丈夫です。風邪引いてもすぐ治るし。
あと、風邪引かないようにーって思いすぎても、それは不安を引き寄せるんだよね。
「大丈夫」って思ってると案外悪いほうにはいきません。本当ですよ。
悪いほうを意識すると、人って無意識に悪いほうに目がいっちゃうからね。心理学的にも、引き寄せ的にもそうです。
なので、なるべく心地よいほうに意識を向けましょう。
おっと、インフルからの…
思わず
引き寄せの法則。でした。
だんなさんが嫌い?
今日は刺激的なタイトル。
せっかく、好きだと思って、幸せになれると思って、結婚したのに、子どもができてから、だんなさんを好きと思えなくなった人の話。
「だんなさんを見てるとイライラする」
「もっと子どもの面倒見てよって思う」
「もう男として見れない」
「もっと稼いできてよって思う」
「お金さえあったら離婚できるのに」
「こんな人だとは思わなかった」
という人がいました。
あんなに好きで結婚したのに。自分が選んだはずなのに。自分に見る目がなかったのか?
この人の頭にあるのは
「私は悪くない」
「私はこんなに頑張っているのに、悪いのはだんなだ」
という思い。
私も、かつては同じような気持ちでした。
その人と同じように、子どものために、家族のために、家事も育児も頑張っているのに、どうして、だんなさんはテレビばっかり見てるんだ?仕事だけしてりゃいいのか?たまに家事を手伝ってくれるけど、そのやり方も気に入らないし、「やってあげた」とか思ってるし、なんかいちいちイライラする!
でも心理学について色々学んで、今は、
「だんなさんに感謝しかない」
ぐらい、大好きです。
うちのだんなさんは神様です。
心からそう思う。
それは、私が、人の心について、どうしてそうなるのか「知った」そして、実際にやってみた、から。
先ほどの場合、奥さんは「被害者」で、だんなさんのせいで、「不幸」だと思っています。
でも、同じようなだんなさんでも、違うふうに思う人もいます。
「仕事から帰ってきて疲れてるんだな」
「ゆっくりくつろいでるみたいで良かった」
「下手だけど(笑)たまに家事を手伝ってくれるし、うちのだんなさんはなんて優しいんだろう」
「お金も大事だけど、こうして一緒に暮らせる家族がいることじたいが幸せだな」
と思っている人もいる。
この違いは何でしょう?
イライラしてしまう奥さんは、
「私は頑張らないと幸せになれない人。」
と思いこんでいる人。
「頑張らない私には価値がない」
と、自分の価値をみずからすごーく下げて生きてきた人です。
そして、頑張らないと価値がないと思っているから、
頑張らないで楽してる人を見ると腹立たしい。
自分の価値をますます脅かすだんなさんが嫌いになる。
そして基本的に、
自分と他人を比べて、自分の価値をはかってきた人。
なので、
自分が他人より幸せだ、と思えるときに安心し、
自分が他人より不幸だ、と思ったときは不安になったり妬んだりしてしまう。
そして、
他人から見て、どんなにうらやましい状況に置かれたとしても、常にモンダイを探します。不幸を見つけ、自分がいかに価値がないかの証拠を集めて生きるのです。
スーパーモデル並みのスタイルを持っていて、北川景子ばりのフェイスで、大きな会社のご令嬢だったとしても(ただの例えです)
自分で自分の価値を認めないかぎりは
「なんで私って男を見る目がないのかしら」
とかしょーもないこと言って悩んでたりしてるのと同じ。(本当にただの例えです)
いやいや、アンタじゅうぶんですやん!と言いたくなりませんか?
選ぶ自由も選ばない自由も、全部自分が持っているはずなのに。
この奥さんも、基本的には同じです。
自分の価値を自分で認めない限りは、
「ある」はずの幸せも、
見え「ない」し、
「ある」はずの愛も、
受け取ってい「ない」
「ある」はずの自分の能力についても、
過少評価して「ない」ことにしている
ことになるのです。
そういう人に向かって、
「あなたは見えてないだけですよ」
「受け取ってないだけですよ」
といくら言っても、ほぼ信じてもらえません。
人は信じたいものを信じて、見たいものを見ているからです。
何かのきっかけや、生い立ちの上で、
「私は不幸だ」
「私は価値がない」
と決めつけて、その通りに生きていて、周りの環境をその通りにコーディネートしているだけです。これを「不幸の証拠集め」と言います。
離婚、本当にしたかったらすればいいのにね。
他人を責めたって何も変わらないのにね。
変えないのは、実は
「そんな自分に安心していたい」
のかもね。
「被害者」で、
人を責めてたまに愚痴っていれば、自分に向き会わなくてすむから楽なのかもね。
ブラックな私の声が聞こえましたね…。失敬!
「何にもしなくても私は幸せ」
「生きているだけで愛されている」
と、思いこんでいる人は、その思う通りに、ただ無邪気に生きて、そのまま大して何もしなくても、いろんな人に愛されるのです。
赤ちゃんは、そうです。
最初は自分を完璧な存在だと思っています。
そして、いつからか、自分にとって絶対的な存在である親から、
例えば、
「この子はかわいそう」
だと、刷り込まれたり、言われたり、
「頑張らないと幸せになれないよ」
と教えられて、本人もそのように思いこむと、
「かわいそうな私」
「頑張らないと幸せになれない私」
が出来上がる、という仕組みになっているわけです。
ちなみに、
「かわいそうなお母さん」
とかもあります。
「かわいそうなお母さんを助けてあげなきゃいけない私」
とか。
頑張ることが悪い、と言っているわけではありません。
親が悪い、と言っているわけでもありません。
生い立ちのせいで、そうなった、と言っているわけでもありません。
それは、ただの偏りですよ、
そういうふうに、自分で決めただけだから、その思い込みを変えたかったら、いつでも変えれるんですよ、と言っているのです。
その選択権は、いつでも自分が握っているし、
偏った思い込みがあるなら、一度、フラットな状態に戻ればいいだけです。
自分の価値を認めた人は、たまに失敗しても、
「たまたま失敗しただけ、次はうまくやろう」
と思い、
自分の価値を認められない人は、
「やっぱり私は失敗する人なんだ、もうやりたくない」
と思うでしょう。
自分が失敗したところで、自分の価値が少しも下がることはない。
これは、「自己肯定感」とか「根拠のない自信」とか言います。
それさえあれば、貧乏でも、障害があっても、本当に何も持っていなくて身ひとつでも、「幸せ」を感じることができる。
究極的に言うと、そういうことだと思うのです。
タイトルから随分離れた内容ですが、全部つながってるのでそのままupしよーっと。
長くなっちゃったので、また、続きは後日にしたいと思います。